散々言われていることですが。
妖精、いらない。

あんな上級生ばっかり、どうしてムダ使いするのでしょうか?
もっともっと、役者としての見せ場をください!!

月組公演「JAZZYな妖精たち」。
作品自体は嫌いじゃありません。初見で結構感動しちゃいました。
ティモシーの「今のは効いたよな」の一言に、涙腺じわっ。
妖精の存在と、始まりなのか、終わりなのか、良く分からないエンディングさえ
どうにかなれば・・・!

妖精たち、まず登場からして間違っている。
あんな長い自己紹介がどうして必要なのだろう?
だって、その後で、自己紹介された特徴が活きて来るのって、
「泣くと人が死ぬ」(だっけ?災害が起きるでしたっけ?)のだけじゃないですか。
オーベロンすら、妖精王らしい見せ場ないし。
基本的に、この作品に妖精たちはいらない。登場しなくていい。
主人公5人の心の中にのみ存在して、セリフの端々に登場すれば
それで十分、舞台上にはいらない。(よね?←誰に同意を求めているのか?)
もし、どうしてもどうしても妖精を登場させたいなら、新人公演学年のカワイコちゃんで
十分じゃないですか?
うーさんや、リュウさんがやるような役ではないよ。

そして、えっと、大劇場公演ではシャノンは死んだんだよね?
どうして東京では「死なないのか」?
未来につながる終わり方にしたかったから??
私には、あの終わり方が「未来へつながる」終わり方には思えませんでした。
異常なまでの中途半端感を増長するだけ。
確かに、シャノンが死ぬという終わり方だって、物語が中途半端なまま終わっている
という事実には変わりはないと思いますが、
それでも、とりあえず「その場は終わった」感があったんじゃないのかなぁ。
(←大劇場見ていないので、あくまで推測)
私、同じく谷先生作品の「エールの残照」好きですよ?
ヒロインのロージーが死んでおわっちゃう作品ですが。
あの時のロージーの死は、決して暗い幕引きではなかったですよね。
「エール〜」だって、それからどうなっちゃうの?という突っ込みをしたくなるような
作品でしたが、でも観劇後の感想は良い記憶として残っています。
今回も、終わり方としてはシャノンの死があったほうが良かったんじゃないかなぁ・・・。
そう思わずにはいられません。

オープニングのアイリッシュダンスは、2階から見ると隊形の変化がキレイでした。
宝塚って、こういう集団美にかけてはものすごいパワーを発揮するよね。
「王家〜」の凱旋のダンスも、そうだった。
難しいダンスなのは良く分かります。みんな頑張っていて素晴らしい。
特に、みっぽー。上手すぎる。本当にダンサーなんだなあ、と。
ただ、惜しむらくは長すぎる。

まだ1回しか見ていないので、細かいところは忘れてしまったりもしていますが。
でも私は好きです。キライじゃないです、「JAZZYな妖精たち」。
月組公演、あと半月。何回見れるかな。
頑張ります。

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